校長日誌 後期始業式
令和6年10月1日(火)後期始業式を行いました。ようやく爽やかな日和となったので、今回は体育館に全校生徒が一堂に会する集会形式で行いました。校長講話の後、進路指導部主任からは各学年それぞれの「目線」の置き方について、生徒指導部主任からはSNSの匿名性と責任について等の講話をしました。後期も引き続き、しっかりと学校生活を送っていきましょう。
校歌斉唱 | 校長講話 |
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校長講話要旨
皆さん、おはようございます。
先日行われた紫苑祭では、紫苑祭実行委員会や生徒会をはじめとする生徒皆さんの協力で、素晴らしい文化祭を実施することができました。2日間合計で9,500名を超える来校者があったにもかかわらず、混乱なく実施できたのは皆さんがよく考えて計画し、運営したからだと思います。ありがとうございました。
先輩達から引き継いだノウハウに加え、世の中が刻々と変わっていく中で、昨年とは異なる運営であった部分も多く、これらに対応するためにおそらく多くのことを考えざるを得なかったと思います。新しく取り組むものには正解がありません。
先日、図書館で内田樹(たつる)氏の「勇気論」という新刊を見つけ、手に取りました。「勇気」について、様々な視点から往復書簡形式で議論を深める内容です。
その中の一節で、内田氏は『孟子』公孫丑章句(こうそんちゅうしょうく)の前半部分を取り上げていました。
公孫丑章句(こうそんちゅうしょうく)の前半部分は、孟子の弟子の公孫丑(こうそんちゅう)が「動じない心」について聞く部分から始まります。孟子は北宮黝(ほくきゅうゆう)という、市井の人でも、君主であっても、恥辱を受ければ刃を向けられるといった血も涙もない動じない心を身につけた人物や孟施舎(もうししゃ)という敵がどんなに多くても臆病におびえないという心を身につけた人物の例を挙げます。
その後に、孟子は、孔子に「「大勇」とは何ですか」と聞いたことがあるという話をします。そのとき、孔子は「自(みずか)ら反(かえり)みて縮(なお)からずんば、褐寛博(かつかんぱく)と雖(いえど)も吾(われ)惴(おそ)れざらんや。自(みずか)ら反(かえり)みて縮(なお)ければ、千万人(せんまんにん)と雖(いえど)も吾(われ)往(ゆ)かん。」と言っていたよ、というところで前半は終わります。
孔子が語った部分を内田氏は「自分に理がないと思ったら、相手がぼろをまとった卑しい人間でも私はおそれる。自分に理があると思ったら、千万人が立ち塞がっても私はこの筋目をとおすだろう」と解説しています。
そして、内田氏はその節の中盤でこうまとめます。
どうやら孟子は「恐れない」ことだけでなく「恐れる」ことにも勇気は必要だという孔子の両義的で多層的な教えの方に叡智の深みを見いだしているようです。(中略)北宮黝(ほくきゅうゆう)タイプのタフガイを「勇気のある人」と呼ぶべきか、こちらが間違っていたら、「すみません」と謝ることができる孔子モデルを「勇気のある人」と呼びべきか。さて、どうなんでしょう。
孟子は弟子の公孫丑(こうそんちゅう)にも読者にも「勇気問題」に即答することを求めているわけではありません。もちろん、「正解」を教える気もない。世の中にはこういう人もいるし、こういう人もいる。どちらが「勇気のある人」であるか、なぜそう判断できるのか、それは自分で考えなさい、と。いわば「オープンクエスチョン」として「勇気問題」を人々の前に差し出しているのです。
さて、紫苑祭の運営だけでなく、世の中には正解のある問いなど、正解がある問いに比べてはるかに少ないということは皆さんも承知しているでしょう。
学校での学習は、そうした問題に立ち向かう力をつけるためにあります。
ですから、皆さんには是非、安易に答えを求めることなく、じっくり考える姿勢を引き続き持ってほしいと思っています。
ただ、三年生はそんな暇はないと言うかもしれません。そこはバランス良く、じっくり考えるべきことには時間をかけ、先にどんどん進めてよいものはすぐに手をつけるというタイムマネジメントをしてください。ふと、立ち止まってしまったときは、じっくり考える時間なのかもと思い至る余裕も欲しいものです。
また、1,2年生も学校行事等の中心として活躍していく時期になりました。よく考え、様々な力を身につけ、多くの場所で活躍することを期待しています。後期も頑張っていきましょう。
参考文献 内田樹著「勇気論」 株式会社光文社発行