校長日誌 卒業証書授与式
令和6年3月15日(金)第76回川越女子高等学校卒業証書授与式を行いました。保護者の方、来賓の方に御臨席いただき、盛大で厳粛な式を行うことができました。 以下は式辞の概要です。表示されない場合は<続きを読む>をクリックしてください。 |
式辞
例年になく寒暖差が激しかった冬を越え、校内の木々に春の訪れが感じられる今日の佳き日に、御来賓の皆様、御家族の皆様の御臨席を賜り、埼玉県立川越女子高等学校第七十六回卒業証書授与式を挙行できますことは、私たち教職員にとりまして、大きな喜びであります。
保護者の皆様、お子様のご卒業、誠におめでとうございます。立派に成長された姿を目にされ、喜びもひとしおのことと存じます。これまで、心温まる御支援と御協力を賜りましたことに、心より感謝申し上げます。
そして、只今、卒業証書を授与しました三五○名の皆さん、御卒業おめでとうございます。心からお祝い申し上げます。
皆さんが川女に入学した当初は、新型コロナウイルス感染症の影響を受け、思い描いていたような高校生活を送ることができず、とても不安な思いをしたことでしょう。学校行事などで学校の中心となる二年生になって、ようやく徐々に様々な活動が許されるようになり、高校生活における一大イベントともいえる修学旅行も実施することができました。生き生きと活動しながら、社会の状況を見極め、感染拡大防止を徹底して高校生活を最善のものにしていく皆さんの姿勢と努力、行動力を心から讃えたいと思います。
また、皆さんの在学中には大規模改修が相次いで行われ、皆さんには迷惑をかけてしまいました。その中でも卓球場・剣道場の改修工事は当初の予定よりも大幅に工期が遅れ、体育の授業や一部の部活動に大きな影響がありました。この遅れの主な原因は資材不足と流通の混乱でした。その起因となったのが戦争です。現在も続くその戦争では、日本は直接の当事国とはなっていませんが、八十年前の世界大戦では日本は当事国で、大きな惨禍があったことは皆さんもご存じのとおりです。当然、川越女子高校、当時の川越高等女学校も例外ではありませんでした。
皆さんは本校の職員玄関前にある台座に人の顔のレリーフがついた猿の像の由来を知っているでしょうか?
元々は、本校で二十年以上にわたって教鞭をとり、本校校歌を作詞するなど本校の発展に大きな功績があった逸見宮吉第六代校長の胸像として昭和十三年に校庭に据えられたものでした。百周年記念誌に写真が掲載されています。大変立派な胸像でした。戦況が悪化した昭和十八年、胸像は軍に当時の言葉でいうところの「献納」され、軍事物資へと姿を変えられてしまったと伝えられています。当時は胸像が拠出されただけでなく、生徒の教育にも大きな影響がありました。創立五十周年、八十周年、百周年の各記念誌には戦前、戦中に生徒だった卒業生が当時の様子を克明に書き記しています。
終戦後しばらくの間、胸像が据えられていた台座はそのままでしたが、昭和三十年に前の講堂完成に合わせて、同窓会が逸見校長のレリーフと逸見校長の干支に因み愛育を象徴する猿の像を講堂前に設置しました。この経緯については、台座の裏面に碑文が残されています。更に五年ほど前、講堂の建て替えに伴い、職員玄関前に据えられました。
その逸見校長先生は、本校校長として在任中、宮中歌会始めに参内するなど、大変和歌に深い造詣をお持ちで、学問と教育の推進に大変熱心に取り組んでいらっしゃったそうです。在任当時、世界恐慌が起こり、次第に日本が戦争に向かっていく中でしたが、まだまだ生徒は学問に集中できる時代だったようです。今は学問に全く集中できない状況の人たちが世界に沢山います。世界中の人々が、何の不安もなく学べる世の中が早く訪れるといい。そう願ってやみません。
皆さんのように社会に目を向け、よく学び、努力を重ねていけるような若い人たちには、争いのない明るい未来を築ける力があると信じています。皆さんが川女で学んだことも、川女を巣立ってから学ぶこともいずれもよりよい未来の創造につながるものです。是非、未来のために学び続けてください。
これからも精一杯学び、今よりもずっとよい未来に向かって、思う存分羽ばたかれることを心から願い、式辞とします。