校長日誌 卒業証書授与式
令和5年3月15日(水)卒業証書授与式を行いました。高校3年間、感染拡大防止を理由に全員で合唱することが許されなかった学年です。卒業の日になってしまいましたが、川女本来の卒業証書授与式の形である音楽部と弦楽オーケストラ部の生演奏によるハレルヤ、いつも聞くだけだった校歌、退場前の卒業生パフォーマンス「旅立ちの日に」、いずれも全員で歌うことができました。皆さん素敵な笑顔で川女を巣立っていきました。卒業生の皆さん、大きく羽ばたいてください。いつまでも応援しています。
早咲きの桜がお祝いしていました | 開式前 | この日のために植えられたお花 |
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式辞
厳しい寒波が襲った冬がまるで嘘のように、校門前の桜のつぼみがほころびかけている今日の佳き日に、御家族の皆様の御臨席を賜り、埼玉県立川越女子高等学校 第七十五回卒業証書授与式を挙行できますことは、私たち教職員にとりまして、大きな喜びであります。
保護者の皆様、お子様のご卒業、誠におめでとうございます。これまで、心温まる御支援と御協力を賜りましたことに、心より感謝申し上げます。そして、只今、卒業証書を授与しました三四八名の皆さん、御卒業おめでとうございます。心からお祝い申し上げます。
皆さんの川女での三年間は、新型コロナウイルス感染症に翻弄された高校生活でした。三年前、全国一斉休校の措置がとられ、中学校の友達とは突然の別れとなってしまいました。加えて、本格的な高校生活も六月まで待たなければならず、その間、これからの高校生活にとても不安な思いをしたことでしょう。
しかし、入学式で皆さんの代表の青木さんが「誓いの言葉」の中で力強く思いを語りました。「私たちは負けません」と。
高校生活が始まっても楽しみにしていた学校行事は中止や縮減され、いわゆるニューノーマルといわれる新しい常識を押しつけられるなど、決して順調ではなかった三年間だったと思います。そのような状況下にあっても、「誓いの言葉」のとおり、皆さんはこの三年間を仲間と苦楽を共にし、努力を重ねてきました。そして、幾度も繰り返す感染拡大の波を乗り越え、コロナ禍に負けずにこうして卒業の日を迎えることとなりました。皆さんの頑張りを心から讃えたいと思います。
苦難を乗り越え、卒業を迎えた皆さんを前に、うれしさと寂しさが入り交じった複雑な気持ちで壇上に立っています。万感の思いを込めて、皆さんに最後のお願いをします。今度は校歌に歌われている思いを胸に、川女から巣立ってください、と。
本校の百周年記念誌に元本校教諭で埼玉大学名誉教授の山野清二郎氏が本校校歌について寄せた文があります。その中から校歌に歌い込まれている意味について述べた部分を途中端折りながら紹介します。
「まず一番の「露もゆたけきむさし野の 草もみながらはゆるまで」の部分については夙に「古今和歌集」巻十七の
紫のひともとゆえに武蔵野の 草はみながらあわれとぞ見る
の歌に基づくと言うことは、多くの人の知るところであろう。紫草は根こそ染料として貴重視されるが、花そのものは白く小さく可憐である。ここに質素の語をもって当てる。そのように人目にこそ付かぬものの、香は高く、根に秘めた宝を蔵しつつ「我咲かむ」」
「二番は、入間川の流れの絶えざる形状に勤勉の語を当て、その勤勉がいわば呼び水となって、歌詞は地上での汗を流して一筋の道を践み行く動作へと変換する」
「三番の歌詞は盛りだくさんの内容に満ちている。校訓の誠実は、校旗に織りなされた「なでしこ」のイメージと手を結んで歌い込まれ、更になでしこは「万葉集」巻八の大伴宿禰家持の歌、
わが屋外に蒔きしなでしこいつしかも 花に咲きなむ比へつつ見む
を思い浮かべていたと考えられ、その花の誠に美しく咲く未来を堅く見据えて、篤く種を播かんことを誓って歌は終わる」
「われ咲かむ われ践まむ われ播かむ」
感染拡大防止を理由に、皆さんにとって校歌を全員で歌う機会はこの三年間で今回が最初で最後となってしまいました。しかし、卒業生の皆さんには、校歌に歌い込まれた思いを胸に、大きな翼を広げ、限りない未来に向かって、思う存分羽ばたかれることを心から願い、式辞とします。